他人を信じることをやめる事ほど寂しいことはないだろう。『アンダーグラウンド』鑑賞記

映画レビュー『アンダーグラウンド』

underground

ヨーロッパで生活するようになってから否応なしに意識せざるをえなくなったのが、世界中で起きている紛争に関連して起きる移民、難民問題である

2015年1月

僕とアリスがパリからベルリンに引越しをする直前に起きたシャルリー・エブド事件。事件が起きた日、僕は事件現場から1kmと離れていない場所にいた

パリに住んでいる妹はもっと近い場所にいて長時間その時にいたビルから出れなくなった

その後にパリ中で巻き起こる『私はシャルリー』という犠牲者追悼運動と移民政策に対する議論が巻き起こる一種ざわざわした異様な空気の中で僕とアリスは荷物を全て車に詰め込んでパリを出た

2015年夏

シリア内戦の激化により多数の難民がヨーロッパに逃れてくる。ドイツはヨーロッパの中でもトップクラスの難民受け入れを政策の柱としている国である

そして僕のベルリンの家の近くに難民センターがあって多くの難民が押し寄せてきた。ニュースで見た難民問題がすごい身近に起きていることを実感する。そして、それに伴いドイツでも議論が巻き起こる

2016年12月

ベルリンで開かれていたクリスマスマーケットに難民申請を却下された男性が運転するトラックが突っ込んで多数の犠牲者を出す事件があった。事件が起きる前日、そのクリスマスマーケットで僕はアリスとクリスマスデートをしていた

僕がいるエリアだけでこれだけの事件が起きている

日本にいた時はテレビで見ていた対岸の出来事がこっちだと目と鼻の先なのである。それから僕は宗教問題や中東の歴史問題、そして世界中で起きている紛争問題について様々な書物や映画を見て勉強した

調べれば調べるほど、正解なんてないというしかない人類そのものの複雑な負の歴史であることが分かる

一つ一つの事情を把握することは出来ても、それらが複雑に絡み出した途端なんともいえなくなるくらい大きい問題であることがかろうじて分かるくらいだ

それでも結局は一つの問題なんじゃないかと

人種の違いが産み出す様々な壁である

決して超える事のできない壁。それでも絶望することはない。希望はある。そう思わせる心に残るすごい映画があった

エミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』

ベオグラードを舞台にユーゴスラビアの激動の歴史を描いた大作でありカンヌはパルムドールを受賞した作品で、長さは170分

重い、長い、眠いの三重苦とも戦わなければいけないこってりした凄い作品である。これユーゴスラビア内戦を描きながら国の歴史を見つめている映画なのである。調べてみたらこの映画、その正にユーゴスラビア内戦の最中に制作されたのである

この監督自身もユーゴスラビアはサラエボ出身の人でボスニア紛争により自宅は略奪され、父は死んでしまったハードコアな体験をしている

僕もこの紛争の事について書かれた本は沢山読んだ。色々あるけど結局はユーゴスラビアという一つの国が解体されていく中で起きた紛争である

色々問題はあっても昨日までの隣人が独立という大義名分で殺し合う。日本で例えたら、いきなり大阪が独立宣言して東京に攻撃を始めてくるようなもんだ。そこで東京が反撃して大阪と東京が戦っている間にも北海道が独立宣言して沖縄もそれに続いて。。更に当事者だけでは済まなくなって北海道にはロシアが味方についたりさ

東京はアメリカとか、更に福岡も独立宣言して距離的に近い韓国と協力したり、どんどん紛争の規模が複雑かつ大きくなって実際戦っている人たちは何の為に戦っているか分からなくなってくる

その混乱の中で金儲けに走る人、ナショナリズムに走る人、現実逃避する人、色々出てくる

この映画はそういう混乱とそれに翻弄される人間模様を喜劇タッチで描いていく。最初は何でこんな悲劇を喜劇タッチで描くのかな?と思ったよ。でもあんまりに重い内容だからシリアスに描くととんでもなく重くなってしまう。喜劇タッチにする事で見やすくすると同時に人間の愚かさも含めて肯定したかったのかもしれない

この映画に出てくる悪い人達も根っからの悪っていないんだ。みんな憎めない感じなのである

ただ紛争という異常状況で自我を失って負の感情を鏡みたいに周りに反射してしまい、それがどんどんエスカレートして歯止めが効かなくなってくる

最後の最後でだました人とだまされた人、殺した人と殺された人。みんなが一緒に集まっての楽しい宴のラストシーンは凄い印象的だった

だました人が言う 『許してくれないか?』

だまされた人が言う『許そう!だが忘れないぞ!』

昨日までの隣人が殺し合うというこれ以上ない悲劇的な出来事。それでもラストシーンで監督はメッセージを込めた

他人を信じる事をやめる事ほど人間として寂しい事はないだろう?

紛争の事について書かれた本は沢山読んだって事はさっき言ったけど、その中でもサッカー日本代表監督も務めた事もあるユーゴスラビアはサラエヴォ出身のオシムについて書かれた『オシムの言葉』は衝撃だった。こういう凄まじい人生もあるのか。。

オシムが紛争で経験した事が書かれている

サッカー日本代表を通して身近に感じていた人だから、僕にとって一番リアリティを持って感じられた本かもしれん

オシムはユーゴスラビア解体前の最後のサッカー代表監督である。オシムが就任する前のユーゴスラビア代表は試合の開催場所によってメンバーが大きく変わるのが当たり前だったんだ

例えばクロアチアの首都ザグレブで試合をする時はクロアチア人中心に。セルビアの首都ベオグラードで試合をする時はセルビア人中心にメンバーを選ぶのが暗黙の了解だったのである

なぜならばそれが民族的な配慮ということらしい。というかそうしないと監督のところに直接マフィアが脅しにやってくる

『何でザグレブで試合するのにクロアチア人少ないんだ?』

『ここはベオグラードだぞ?なんでフォワードがセルビア人じゃないんだ?』

ピストルをちらつかせながら言うのである。怖いよ?本当に殺されるかもしれないというプレッシャーの中でオシムは純粋に上手い選手を選ぶと言って曲げなかった

その時、ユーゴは紛争が起きる一歩手前の混乱期だった

民族対立が一番エスカレートしている時にやり遂げた事だから凄い事なのである。オシムが率いるチームは民族的な配慮が全くない純粋にサッカーが強いチームだった

セルビア人のストイコビッチが中心になってたが、それは単に上手かったからであり、あまりに上手いから他の民族の選手も納得してたって凄いな

そして、ユーゴ代表チームは1990年のワールドカップで準々決勝で敗れたが、二年後の1992年ヨーロッパ選手権では優勝候補の一つに挙げられる程のチームになっていた

だが徐々に歴史の動乱の中でメンバーが様々な事情で集まらなくなり、自分の妻と娘がいるサラエヴォがユーゴスラビア人民軍に包囲されてしまったオシムも『わが故郷であるサラエヴォのために唯一自分が出来る事』という言葉を残して監督を辞任してしまう

オシムはその時、たまたま仕事でベオグラードにいて戦禍の難を逃れることが出来た。。いや、妻を深く愛するオシムにとっては難を逃れたとは言えないだろう。だが、妻と娘がいるサラエヴォの空港は閉鎖されてしまい、愛する家族の所へ戻れない

もちろん妻と娘は銃撃が飛び交う街から出ることができない

自らの故郷を攻撃している国の代表監督をやってるなんて耐えられないだろう

選手も同じだ。辞めたくて辞めた選手なんて一人もいない。ただサッカーがしたいだけの人達が次々にやめていかなければならない

それでも残ったメンバーでなんとか1992年ヨーロッパ選手権の開催地スウェーデンに辿り着いたユーゴスラビア代表チームを待ち受けていたのは国際サッカー連盟による締め出しである

全ての国際試合から締め出されチームは消滅してしまう

そしてユーゴスラビア内戦は本格化してしまう

オシムはサラエヴォに残された妻と娘に連絡を取る事が出来ない。何故なら連絡網、交通網、全て破壊されてるから。その中でもなんとかアマチュア無線を使ったりして妻と連絡を取ろうとする

アマチュア無線とは電波を飛ばせる距離が短く遠距離に関しては途中でいくつもの拠点を経由してバケツリレーのようにメッセージを運ばなければいけない

所謂伝言である

何人もの人間が『ああ言ってます』『こう言ってます』と間に入って伝えていくわけだ。だから特定の相手に向けての連絡手段としては恐ろしく精度が低いのである。ただでさえ紛争地域である。伝言リレーなんて無理である

それでも藁にすがる思いで妻にメッセージを送り続けるオシム

ここで奇跡が起きる

かつてオシムの指導を受けた選手達が殺し合いを続ける民族間の垣根を越えて、その時だけはライフルを置いて伝言リレーをするのである。かつての同じチームの選手たちが敵味方に分かれて殺し合ってるって悲しいけど彼らは別々にオシムの事を尊敬している。その一点で繋がったのである

オシムのいるアテネ→マケドニア→ベオグラード→妻子のいるサラエヴォ

妻子のいるサラエヴォ→ベオグラード→マケドニア→オシムのいるアテネ

妻子の安否が確認出来てオシムもどれだけ安心した事だろう。民族に関係なく素晴らしい代表チームを創り上げたオシムの理念は一時的にとはいえ彼らに協力作業をさせたのである

『アンダーグラウンド』のラストシーン

殺し合いをした人達が一堂に会して楽しそうに踊り明かす宴のシーン

民族の垣根を越えて生きていこう!

自宅を略奪されて父の命が奪われるという悲惨な事を経験してそれでもこういうラストシーンを撮ってしまう監督の今は亡き祖国に対する強い思いを感じる

『僕らは痛みと悲しみと喜びをもって子供たちにこう話します。昔、ある所に国があった、、』

1998年

レアルマドリードというスペインのフットボールクラブ

FW2トップ

一人はユーゴスラビアのプレドラグ・ミヤトヴィッチ

もう一人はクロアチアのダボール・シューケル

二人はゴールが決まる度にどちらのゴールでも関係なくハグしてお互いを祝福していた

1999年、紛争は終結しユーゴスラビアという国がなくなった

xx

KENSUKE SAITO

 

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