僕は生まれつきの『感音性難聴』という障害を持って生まれてきました。
まぁ、最も重い聴覚障害2級レベルだったみたいで周りも普通学校に入れずに聾学校に入れるべきだという声があったみたいだけど、おかんとしては普通の学校に入れてやらせてみたいという強い希望があったみたいで普通の学校に入って教育を受けました。
同じような境遇の子供を持つ親の決断は様々あると思うし、それについて何か思う事もないけれど僕個人の思いとしてはおかんの決断に感謝してるし良かったなと今でも思う。
難聴という事は耳から入ってくる情報量が他の人に比べて少ない分、目から入ってくる情報に多くを頼らなければいけない。僕もそうだったのだろう。昔から何でも見る事は好きだった。
その分、言葉への感度は低かったと思う。多分、言葉を覚えるのも遅かったんじゃないかな。
小さいころだけど漫画とか読む時に吹き出しのセリフの部分の意味が分からなくて、文字の部分を読まないで絵柄だけでストーリーを勝手に組み立てたり妄想したりね。僕が今、絵を描いてるのもおそらく視覚に対する依存の強さが関係してると思う。
さぁ、ここで問題である。
『難聴』と『感音性難聴』の違いである。
これ、微妙に違うんだ。『難聴』というのは単に耳が遠くなる。聴力の衰えのことを言う。世間一般が普通にイメージしやすい『耳が悪い』はこれに当たる。ひるがえって『感音性難聴』とは何かというと単純に耳が遠いわけではないのである。
音のボリュームがメインの問題なんじゃなくて、音の識別能力が低いという事なんである。
色盲に例えると分かりやすいかもしれない。色盲の人が赤と青と黄色の識別ができないのと同じように、『さ』と『た』って、同じあ行で微妙に近いよね。普通は難なく聞き分けられる。
音を聞くって、その微妙な周波の違いを聞き分ける事である。そこが他人に比べて難しいのだよ。ま、普通の聴覚レベルの人でも聞き間違いはある。だから違いを説明するのが尚更ややこしい。
あ。思い出した。昔、聞き分け間違い事件ならぬ、空耳アワー事件があったんだ。
日本で働いていた時にさ、取引先に請求書を僕に送るように言ったのよ。
『いつもお世話になっております。この見積書で問題ないので請求書送ってもらえます?』
『ははっ!ありがとうございます!宛名はどちらで?』
『僕の名前でお願いします』
『あの、申し訳ないのですが、お名前をもう一度だけお願いします』
『斎藤研佑(サイトウ ケンスケ)です。さっき教えた住所と部屋の番号を記載してくれれば届きますよ』
『ははっ!ありがとうございます!では早速送らせていただきます!』
で、後日僕のところに請求書が届いた。
宛名が『斎藤研佑』じゃなくて『大東建設』になっていた
サイトウ ケンスケ。。
ダイトウ ケンセツ。。
確かに似てなくもないな。。いや、似てないだろ? ワレは会社と会話ができるのか!
まぁ。。でも自分の名前が有名な大手会社に間違えられるというのは不快なのかちょっぴり嬉しいのか。。
『ふふ。俺もついに大手か。』という気分に一瞬でもなった自分がバカみたいじゃないか!
話がずれたね。戻そうね
『感音性難聴』って結構、他人に説明するが難しいのだよ。色盲だと、おおよそどんなものか想像はしやすいけど、ビジュアルに比べてサウンドって結構、抽象的だからね
それでも強引に説明しようとするならば、例えばあれだ
クラブとかで会話しようとすると難しいよね?大音量の音楽と喋りの会話が混ざっちゃって相手の声がなかなか聞き取れないじゃない?日常生活からしてあんな感じなのかもしれない。ま、日常からしてあそこまでうるさく聞こえる環境じゃないけどさ。
音が混ざってる感じというニュアンスで言えば近いかもしれない。
そんな僕でも音楽を楽しむことはできる。ただ、普通の人とちょっと楽しむポイントが違うかもしれない。これについては別の記事で語る。今回のテーマではないので飛ばす。
今回のテーマにおける重要人物。彼の名は『佐村河内守』である。
かつて『全聾の天才作曲家』とまで持ち上げられ、一年も経たないうちにそれが嘘とばれて日本全国レベルの騒動を巻き起こした激動の自称アーティストである。
佐村河内騒動が起きてから、しばらく経って彼が『感音性難聴』だと分かったとき、全てが腑に落ちて、他人事に感じなかった。しかも僕と同じ聴覚障害2級レベルっていうじゃないですか。
僕も彼の気持ちが分かるだけに結構ドキドキしたもん。関係ないのに何故こっちまでドキドキしなきゃいけないんだわ?
まぁまぁ、分かるんだ。気持ちは分かる。何故にこういう事をしてしまって、こうなったのか理解はできるんだ。ただ、彼のメインの落ち度は『聞こえない』って言ってしまった事。
『聞こえない』と言いたい気持ち分かるんだよね。あながち100パーセント間違ってるわけではない。
ただ『聞こえない』じゃなくて『聞き取りが難しい』と言うべきだった。
『聞こえない』だと世間は、無音の世界をイメージしてしまう。そこに驚きが産まれ話題になる。
『わお!無音の世界に生きている人がこんな素晴らしい音の世界観を持っている!アンビリーバボ!CD買ってみようかしら?』って普通思うじゃん?
多分、それ狙ったんだろうけどね。その一つの嘘をついているうちにどんどん引き返せなくなったというのが実情だと思う。
もしくは、それを演じてる自分に酔ってしまったか。。酔ってたな。あれは酔ってた。
さっきの『色盲』の例えじゃないけど、『色盲』の人がカラフルな絵を描いたらそれもそれで凄いけど、『全盲』の人が絵を描いたらもっと凄いと他人は思うだろう。どうなってんだ?と他人は思うだろう。同じ障害でも種類やレベルによって全然違う。
『佐村河内』は完全な嘘をついた訳ではない。ただ、そのグレーの部分を利用した分、ばれた時に世間の反動が凄かった。
『聞こえるんじゃないか!』『聞こえるんじゃないか!』の連呼騒動である。
彼の場合、『ゴーストライター』に頼んじゃってるから、まぁ、もう『聞こえるんじゃないか!』の問題だけじゃ済まなくなってるけど。。っていうか、聴覚障害2級レベルっていうのも彼の場合は実はそこまで重くなかったみたいね。もう彼に関しては嘘と真が入り乱れているような男なので、調べてみても情報が錯綜しててめんどくさい。
気になるのは騒動が起きる前までは結構売れてたみたいだけど、あれって音楽が良いと思われて売れてたのか、『耳が聞こえない』のに音楽が作れるから凄いという話題性で売れてたのか?多分、後者でしょうなぁ。別に曲が良いと思ったんなら良いじゃんねぇ。
『凄い!凄い!』って言ってCD買ってた人って、曲聞いてなかったんじゃないかね。『耳が聞こえない音楽家』というストーリーに酔ってたんじゃないかね。ゴーストライターの新垣隆の書いた曲が素晴らしかったのに本人がなかなか表舞台で脚光を浴びれなかったのも、彼自身にストーリーがなかったから。だから、この事件で彼自身にも『長年利用されてきた可哀想な作曲家』というストーリーが生まれて注目を浴びるようになった。
そういう意味でいうと、『佐村河内』は優れたストーリーメーカーであり、プロデュース能力は高かったと思う。
『売れる』って、作品の良し悪しだけでなく、それを作った作者自身のストーリーにどれだけ多くの他人が共感出来たかの結果だと思う。全てとは言わないけれど、こういう話って、アートの世界じゃ腐るほどある。
僕もそう。誰かの作品を好きになる時って、まず、そのアーティストに共感できるかという部分から始まる。そこから作品を何度も見直したり、聴き直したりして、ますます好きになっていく。だが、アートの世界では障害をストーリーに加えるのは細心の注意が必要である。
『感音性難聴』という障害は、おそらく僕の作品に大きい影響を与えている。
ただ、それはどういう風に作品に影響を与えているかについて僕も今まで考察していなかったし、ただただ良い作品を作りたいの気持ちだけでやってきた。
むしろ、そんな障害なんか関係ないという気持ちでやってきた。
まぁ、、でもあれだねぇ。
あのねぇ、実は僕が絵を描き始めたきっかけってTBSのドラマ『愛してると言ってくれ』だったんだわ。豊川悦司が耳聞こえない画家をやってるやつ。覚えてない?
そのドラマがやってたとき、俺、中学生だったのかな?いや高校生か。
絵描きが軽井沢的な素敵な家に住んで、素敵な女性画商に可愛がってもらえてて、なおかつ彼女が常盤貴子。しかも、妹が矢田亜希子。しかも、元カノが麻生祐未。
三人の美女が織りなす黄金のトライアングルとドリカムの『LOVE LOVE LOVE』である。
絵を売る苦労が描かれているシーンは一切ない
貧乏で家賃が払えねぇ!なんていうシーンも一切ない
それ以前に絵を描いてるシーンがあんまりない
素敵な世界観なんだわ。そのドラマ見て僕は思ったんだわ。
『耳が悪くても画家になれば、軽井沢的なお家に住んで、常盤貴子的な美女と付き合えるのではないか?』
今、このブログ書いてる自分がびっくりするくらい本気で考えてたんだもの。平和だよねぇ。ドラマの最終回を待たずしておかんに頼み込んで絵の学校に通い始めた。。まぁ、きっかけなんてそんなもんですよ。
で、最終回は見ていない。当時は便利な録画機能とかないからね。見逃したら問答無用にアウト。まぁ、今じゃDVDになってるかもしれないし、ネットで転がってるかもしれないけどさ。見る気がしない。ここまで人生の転機となったドラマであるのに最終回を見逃すとはなんたるか!と思うじゃない?
でも、もう途中まででいいの。大事だからこそ最終回は見ないという気持ち。分かっていただけるかな?ここから先は、僕の中でこのドラマを育てていこうと勝手に思ったのだよ。
耳が悪くて悪くて辛くて現実逃避のために絵の世界に入ったなんて語ったらなんとなくアーティストっぽくもなるでしょうが、ぶっちゃけ言うと常盤貴子なんですよ!きっかけは!
しかし、きっかけはどんなに浅くてもいいんだ。何事も継続してやっていくと壁に当たるでしょう。その道を自分なりに極めていこうとすれば、それぞれの常盤貴子的なものを超えて自分の内にある何かと戦っていかなければいけない。
そして自分の心の奥に深く深くダイブしていく。表現する道を選ぶというのは自身の中にある欠落している何かを埋めていく行為であると思う。モテたいからという最初の不純な動機から離れて、人類とはなにぞや?という深いテーマになっていくのである。
常盤貴子はただのきっかけなんですよ! 。あ。2回言ったね
でも可愛かったなぁ!綺麗だったなぁ!
まぁ、僕も歳をとって素直になってきたのか丸くなったのか、『難聴です』と飾らないで言えるようになってきた。そして難聴という障害が僕自身の絵にどれだけ影響を与えてきたのかを自覚的に分析して絵を観てくれる人に説明するのも大事だなと思うようになってきた。
ありのままでいいじゃんねぇ。
『障害』というものを語ることが問題なのではない。そこに誠実さがあるか?だと思う。
xx
KENSUKE SAITO
“難聴 佐村河内と常盤貴子。。そして自分。” への1件のフィードバック