国の形が変化しても親子の形は変わらない。『グッバイ、レーニン!』鑑賞記

映画レビュー『グッバイ、レーニン!』

いつの時代も新しい価値観や考え方を受け入れていくのは文字どおり新しい世代だ。親は親の世代で生きていく。子は子の世代で新しい価値観を切り開いていく。

そこに僕は切なさを感じる。

1989年まで、ベルリンは巨大な壁によって東西に分断されていた都市である。

1945年、第二次世界大戦でのドイツ無条件降伏により、東ベルリンは共産主義を柱とするソ連が、西ベルリンは資本主義を柱とするアメリカ、イギリス、フランスがそれぞれを占領し、その後に、アメリカとソ連の冷戦により完全に東西に分断されてしまった歴史を持っている。

巻き込まれた市民はたまったもんじゃないが、それぞれの場所で暮らしていくしかない。そして続く日々の暮らしの中で、その人の価値観や考え方は決まっていく。

2003年のドイツ映画『グッバイ、レーニン!』では、東ベルリンで暮らすおかんと息子を軸に分断されていたベルリンが再び、再統一されるまでの歴史を市民の目線から描いている。

lenin

おとんは、息子がまだ精神的に自立する前に西側に単独亡命して、おかんの前から姿を消している。おかんは、その出来事にショックを受け、その反動で社会主義に傾倒して厳格に国のために生きることに生きがいを感じている。

息子の方は西側のアメリカンなコカコーラ思想を求めて、おかんには内緒で社会主義反対デモをしている。成長した息子にとって姿を見せないおとんへの憧れはそのまま西側への憧れとなり、おかんへの反抗期的な感情はそのまま東側への反体制デモという形になって息子の行動に現れる。

息子にとって、東と西というのは文字通り、『おかん』と『おとん』というメタファーなのである。

そんなある日、息子がデモに参加していたことを知ったおかんは倒れてしまう。そして、8ヶ月という長い昏睡状態に陥る。その間にも社会は揺れ動く。

ベルリンの壁の崩壊

東ドイツの消滅

二つの歴史的トピックを経て、東西ドイツの再統一を目前に控えるという大変な時に限って、おかんが目覚めてしまう。息子は医師に『後もう一度でも、おかんに強い精神的ショックを与えたらもう死ぬかもしれない』と忠告される。

『愛する東ドイツが消滅した事を知ったら、おかんは死んでしまうかもしれない!』

そう思った息子は、おかんのために東ドイツがなくなったことを必死に隠そうとあれこれ走り回る。しかし、街中には資本主義のシンボルである『コカ・コーラ』の看板が溢れかえり、巨大なスーパーが出来上がっている。息子はおかんを安心させるため、色々な嘘を突き通し、果てには東ドイツ社会主義万歳的な偽のテレビ番組を作る。

おかんの為にも『西側の資本主義万歳!』とも言ってられないのである。

男にとってはいつまで経ってもおかんはおかんなのである。おとんは時々、おとんである。ま、それぞれの家庭にもよると思うから、ここはこの映画の主人公と僕の場合ね。

僕の両親は僕が物心つく頃には離婚していた。それ以来、おかんと妹と三人で東京で暮らしてきた。おとんが家にいた記憶はほとんどない。だからクリスマスの夜におとんが家にいた時はびっくりしたもんだ。

なぜ、おとんがいる?

おとんは日本が凄まじい経済成長をしていた頃の世代であるからして、朝早くから出勤、夜遅くまで働き、休日なし。というバブルなハードワーカーであり、僕が起きている時にはいつもいないのである。

であるからして、おとんが家でだらしなく転がってるとか見たことない。おならしているのも見たことがない。僕が見るのはいつも外でカッコつけてるおとんだったから生活感が全く感じられない対象だったのである。

一ヶ月に一回、いつもスポーツカーで家に来て、ささっと帰っていく。オトンはいつもセカンドバッグに裸足に革靴。カーディガンをプロデューサー巻きというバブリーなスタイルである。

でも、おとんはおとんで社会的、経済的な面で凄いしっかり責任を果たしてくれた。家にいる事はなくても黙って責任を果たす的なサムライ的な部分はあったな。

だから、まぁ。今でも憧れている部分がある。裸足に革靴はどうかと思うが。

家族全員揃って一家団欒っていう経験ないけど、おかしいとも思わなかったな。それが当たり前だったからね。だから、文字どおり『東京タワー、おかんと僕と、時々おとん』だったのである。

この映画を見て、そんなことを思い出した。

息子はおかんにいつまでも幸せに暮らして欲しいと思う。しかし、もうおかんの世代が現役で生きていた頃の価値観が崩壊していくのを知っている。

国の形、そして価値観は変わっていくのだ。

しかし、おかんにとってはおかんの世代の価値観が全てなのである。

息子としても、もう新しい価値観の流れが来ていることを分かりつつも、おかんの価値観を否定したくない。でも、もう現実は違うんだよという息子のなんとも言えない気持ちが切ない。

僕も似たような経験をしたから凄い身に沁みた。

僕が日本を出て、ヨーロッパに移住することを決めた時に、たまたまあの福島の地震が起きたんだ。そして続いて起きた原発の事故。そんな直後の何が起きてるのかまだ把握できていないタイミングで僕は日本を出た。

最初の一年間は、仕事の関係もあって、年に6回も日本とパリを往復するような生活が続いた。

パリ、日本、パリ、日本、パリ、日本、パリ、日本、パリ、日本

訳あって時々モロッコ

一番凄まじかったのは、クリスマス前後に別々の仕事を挟んでしまい、クリスマス前に日本で仕事して、クリスマスをアリスと過ごすために二週間だけパリに戻って、クリスマスが終わったら、また日本に行くという思い出しても真っ青なハードスケジュールである。

航空費だけで家計に穴が開いてしまう恐ろしい金額である。

あの一年間、ヨーロッパリーグで活躍しているサッカーの日本代表選手の気持ちがよくよく分かった。彼らは凄い。ヨーロッパでハードな試合こなして、次の日には日本帰って、三日後には日本代表の試合こなして、次の日またヨーロッパに帰って、また試合するのである。頻繁に全然違う気候の国を頻繁に行ったり来たりしてると身体中の毛穴がパニックを起こすのである。毛穴が体感温度を調整するために開いたり閉じたりするの。それで体力を消耗する。

日本代表の試合があるたびに『本田は動き悪いですねぇ』とか『香川にキレがありませんねぇ』とかいう人に言いたい。あなたやってみなさいと。プロだろうがなんだろうが毛穴がおかしい状態で人間は戦えないんである。そんな状態で走り回るなんて無理無理。

そんな感じにパリと日本を往復していく中で、僕の目には日本という国の形が変わっていってるような気がしたの。

僕がパリを通してヨーロッパの価値観に触れて自分の価値観の変化と合わせて、そう見えてるだけなのか。

日本という国が未曾有の危機に直面して一気に変わっていったタイミングだったのか。。

はたまたアイデンティティ・クライシスなのか。

多分、全部だな。距離を置くと色々見えてくるっていうあれかもしれない。

おかんは、相変わらず日本という国を信じている。大変なことが続くわねと言いながらも日本という国の形に疑問を持たない。僕は疑問を持ち始めている。このままだとどうなるんだろう?という不安だ。

最初は、そのことでぶつかったりした。

だけど、この映画『グッバイ、レーニン!』を見て思った。

国の形とか、未来のこととか考えたり、疑問を持ったりするのも大事なことかもしれない。だけど、それ以上に、そこで幸せに暮らしたいと願うおかんの気持ちが大事じゃないか?

結局はいかに個人の幸福を追求できるかなのである。それが周囲の人にも良い影響を与えていく。

僕もヨーロッパでの暮らしが何年か続くうちに、アイデンティティ・クライシスも治まって、日本って素敵な国だなぁと再認識する部分が多い。どの国にも良い悪いはあって、結局はどこにいるのかという個人の選択の問題になってくる。

 

国なんて所詮、人間の集合体である。

 

行き着くところは結局、個人、個人なのであり、誰もがおとんとおかんから産まれるという揺るぎない事実である。

 

xx

KENSUKE SAITO

 

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