中国紀行 〜完〜 『右脳』と『左脳』の違い

突然ですが、人間には『右脳』と『左脳』がありますね

『左脳』は、言語の認識や処理、思考系の情報を処理します

『右脳』は、図形や映像の認識、直感やひらめき系の情報を処理します

僕自身で言えば文章やブログを書いているときは『左脳』が思いっきり働いていて、絵や映像などイメージ系のものを作っているときは『右脳』が思いっきり働いているわけです

最近まで、中国紀行をブログでシリーズ物にして書いていて、さぁ、次で最終回だ。気合い入れて書こう!と思った矢先に何故か、一個の絵のイメージが強烈に湧いてしまったわけだね

平たく言うと、文章を書く『左脳』モードから、絵を描く『右脳』モードにスイッチが入ってしまったわけだ

そうすると途端に文章が湧いてこなくなる。まぁ、書けるっちゃ書けるんだけどね。無理やりも良くないな、と自分に言い聞かせて、しばらく『右脳』のおもむくままに絵を描いていて、さっき、やっと終わった

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そしたら、急に『右脳』がお休みモードに入って、『左脳』モードに切り替わって、頭に文章がわらわら沸いてくる。結構、自分ってめんどくさい人間なのな。1日の中でバランス良く両方とも使えたら好ましいんだけどね

文章も絵も、どっちもフルモードにしないと出来ない部分があるから、難しいね

あ。今気づいた

『左脳』モードの時は、聞いている音楽も、J-POPとか歌謡曲なんだよ

『右脳』モードの時は、聞いている音楽が、テクノとかエレクトロになる

分析するとあれだね、歌謡曲とかって、言葉があるじゃん?歌詞を聞きながら音楽を聴く。演奏よりもボーカルに耳がいく。それで、歌詞の世界観をイメージしたりする。これは『左脳』で音楽を聴いているね。おそらくね

『右脳』モードの時は、言葉が耳障りになる。だから、テクノとかになるんじゃないかね。それで、ビートとメロディに合わせて、イメージがこっちの方からどんどん湧いてくる

そういやさ、僕のi-tuneのプレイリストって極端なんだよ。1個のフォルダが歌謡曲集になっていて、もう1個がテクノ集になっている。脳みそって面白いね。ブログで文章書くようになって、気づいた。今度、『右脳』と『左脳』について考察してみよう。結構面白いんだよ

でもさ、何書いていたんだっけ、あぁ、そうだった。中国紀行最終回だった。ブログの更新が滞った言い訳で、『右脳』と『左脳』の話を持ってきたんだ

言い訳は良くないね。中国の展示会の話にいこうね

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えぇ、今回の展示会では、多くの人に来てもらえて嬉しかったです。大盛況でした。収穫も実りも多い展示会で、次に繋がるようなお話もいただき、大変光栄で、、、

というありきたりな文章もやめとこう

それよりも、次はもっと凄いコトができそうだという手応えを感じれたのが嬉しかったな

『もっとここまでやってもいいんだ』という自分のレベルを上げれた展示会で、それと同時に今まで、自分で自分をいかに小さくしていたか気づかせてくれた

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それは一つに、自分の想像を超えるような会場と、来てくれた人たちのスケールがそう感じさせてくれたというのが大きい。作品を創るって、それを創る人と周りの人の共同作業の結果だなって、それが身にしみて分かった

それと同時に、まだ学ばなければならないことも多いと、いろいろ勉強になった

思ったのが、絵を描くときに、その行為自体が『立ち向かう創作』になってる場合と『現実逃避の行為』になっちゃってる場合がある

『立ち向かう創作』と『現実逃避の行為』の違いは、惰性でやってるか、そうでないかの違いである

『現実逃避の行為』とは、言葉を変えると『惰性で描く行為』となる

自分の知っている範囲で描くという行為である。これは楽しい。ストレス解消にもなる。基本、描くのって楽しいから、自分の持っている技術や得意技のみで延々とキャンバスに絵を描いていく。基本、試したり考えたりがないから、筆が止まらないの

『立ち向かう創作』とは、言葉を変えると『未知に挑戦していく』となる

自分の知らないことを調べてみる。それまで使ったことのない道具を試してみる。得意なやり方を禁じ手にしてみる。これはイライラする。常にうまくいくかどうかの不安と戦わなければいけない。筆が何度も止まる。しまいにはバキッと折りたくなってくる

何回も失敗して、画材屋さんに何回も足を運ぶ羽目になる

何回も失敗して、情報を集めたりしなければいけなくなる

だが、こうして、『慣れない』という環境を自分で用意してみると、作品のレベルはどんどん上がっていく。常に『どうなんだろう?』という環境を用意しておくのは、創り手にとって大事なことではないかと思う

個人的な見解だけどね

クリエイターにとって大事なのは『慣れ』を排除していくこと。クリエイターという言葉は『作り手』とも訳せるし、『創り手』とも訳せる

『慣れ』を排除するかどうかが、この二つの分かれ目なんじゃないかと思う

慣れや技術の成熟を活かして作品を作るのが『作り手』

常に新しいものを取り入れて、慣れを極力排除していくのが『創り手』

話変わるとジャズの世界でもあるんだよ

ずっと手グセだけで演奏するプレイヤーと、ちゃんと、その曲に合ったフレーズを演奏できるプレイヤーがいる。手グセで演奏する人って、曲のことより自分の得意技を披露しているだけなの。もしくは自分が演奏していて気持ちいいパターン

本当に良いプレイヤーって、自分の手グセに頼らないで、曲の本質を掴んで演奏できるプレイヤーなんじゃないかと思っている。まぁ、個人的見解ですが

結構、他のクリエイターが、どう作品と向き合ったかっていう話は好きだ

『作品がよければいじゃない』『面白ければいいじゃない』で終わらせるのではなく、作品がどう作られたか、どういう思考過程で作られたか、どういう歴史背景があったか、も含めて理解しないと真の意味でその作品は理解できないと思う

ワイン愛好家が、どういう過程で、このワインは作られたのかを知ろうとするのと一緒だ

『美味しければいいじゃない』だと、本当の意味での『美味しさ』を理解していないのと一緒だ

だから、僕自身、作品だけじゃなく、その創り手の背景も調べる。そうすると、その『作品』自体も、もっと深くまで理解できる。作品を見てから、調べてみて、もう一度見てみる

そうすると、初見の時は気付けなかったものが見えてくる。それを創り手の『こだわり』という

例えば、宮崎駿の『もののけ姫』は、宮崎駿の集大成と位置付けられているが、実は違う。『もののけ姫』は、宮崎駿の得意技を封じて作られている。彼の十八番とも言える『飛行シーン』や、『可愛らしいヒロイン』である

これらを一切やっていないというのは宮崎駿の『慣れ』に逃げないという挑戦だったのだろうと思う。だからこそ、あれだけ鬼気迫る作品になり、多くの人が圧倒されたんじゃないかと思っている

そのかわり、次作の『千と千尋の神隠し』では、思いっきり『飛行シーン』や、『可愛らしいヒロイン』を取り入れて、鬱憤を晴らしたような作品になっていましたが、そういうのも理解して見てみると『作品』の深いところが見えて面白くなる

『創る』と『作る』の違いや『右脳』と『左脳』の違い

『慣れ』というものに対する意識

自分の作品を肯定して、否定してを繰り返す作業は楽しくない。だが、この肯定と否定を繰り返しの中でしか、深みは出ないものだと僕は思っている

この楽しくない作業は、自分の力だけで意識してできる部分と、第3者という外圧がないとできない部分がある。今回の『中国での展示会』という外圧は、僕とアリスの中で凄い刺激になった

アリスも早速、次の作品に取り組んでいるようだ

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あれだけの面白い事が出来ても満足感は感じれなかった。それより次をどうしようか考えるワクワク感で頭がいっぱいだ

 

終わった後に、そう感じれるコトが何よりも嬉しい

 

そして、中国という国は僕の中で、ニュースでしか知らなかった国から、また会いたい人がたくさんいる国になった

 

ありがとう

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また会う日まで

 

 

謝謝 / 再見!

KENSUKE SAITO

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