現代アートとコインロッカー

こないだ、ベルリンにある現代美術館「Hamburger Bahnhof」に行ってきたんだ

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ここはかつて、ターミナル駅として使われていた駅を改装して美術館として使っており、現代アートを中心に数多くの企画展が催されております。いやね。話変わると、俺、現代アートって好きじゃないんだよ

ままま。今の世の中、現代アートの価値っていうのも凄いものがあるでしょう

僕も何度か、現代アートの作品見て、刺激を受けたり感動したことは多々有る

それでもだ

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色々な現代アートの作品を見てきた結果、どうだったんだ?と問われれば、がっかりする事が多かったと言い切ってしまおうじゃないか

なぜに?

俺も子供ではあるまい。なぜにそう思うにいたったのか。感情論ではなしに理論的に分析してみようと思ったわけだ

あれは、、西暦でいうたら2000年くらいだったかね

友達何人かで都内にある現代美術館に行ったんだわね。何処かは、、まぁ、知り合いも関わっていた美術館なのでね。某。。という事にしておこうじゃないか。東京都内にある某現代美術館。日本では、まだまだ現代アートっていう言葉も浸透し始めの時代だったのかな

僕も友達もよく分かっていない状況で、とりあえずはという事で見に行ったわけだ。文字通り「現代の現代アート展」みたいな催しだったんですがね

ま。あれだ

入り口、入るじゃない? で、最初の作品が豆電球が2つ並べてあるの

「ありゃ?豆電球?」

綺麗なガラスケースの中に豆電球が、ででん!と2つあるだけ。天井から落ちてきたのかなって思うじゃん?だけど天井見上げても何もないんだ。はては誰かが落としたのかな?とも思うじゃん?でもさ、普通に考えて、、豆電球落とします?

「これ、作品みたいですよ」

おもむろに友達が、作品の横に貼られていた紙を見つけて言うんだわ

「あ!これ作品なのか!」

僕らの他にも、お客さんが後から後からぞろぞろやってきて、2つの豆電球をありがたく眺めておる

「ほぅ。。これが聞きしにまさる現代アートとな

極めてシンプルに、、なおかつ現代的に。。そして、コンセプチュアルに。。

作品の横に作品の説明文とタイトルが書いてあったのかな。小さい文字で書いてあるから気づかんかった。それをよく読み込むに

「豆電球というものは工業品であるに関わらず、2つ同時に電球を点けて並べたら、必ずどちらかが先に寿命が来る。これは現代の消費社会のなんたらかんたらなんたらかんたらを暗示した作品で、また作者はなんたらかんたらなんたら。。」

って、なんたらかんたらなんたらかんたら、書いてあったのかな

「ほぅ!なんたらかんたらなんたらかんたら!」

面白いこと言うわね!って素直に感動したんだ。例えて言うたら落語のオチ聞いた時の腑に落ちる感じっていうの?

今、気になって「落語のオチ」ってググってみるに、最後にオチがあることで、聞いているお客さんが安心してくださるから「落ち着く」という意味で、「オチ」っていう言葉が生まれたんだそうな。。

豆電球を前に???となってた頭に説明文が入ることで綺麗にオチがつくわけだ

そうきたか!やられた!ふむふむ!って納得して、次行くじゃん?

次から次へと、そういう作品が続いていく

傘が何本か無造作に立ててあって場の中心に傘立てがあるだけって作品もあったな

綺麗に磨き上げられた正方形のメタルの箱が床に置いてあるだけの作品もあったな

その度に、なんたらかんたらなんたらかんたらの説明文を読み込む

「傘というものは、現代社会のなんたらかんたらを暗示しており、この傘立ては現代に生きる人類のなんたらかんたらなんたらかんたらのメタファーなのである」

ふむふむ

「なるほど!そうか!」

はては、チャリンコの車輪が椅子の上に置いてあるだけの作品とかあるんだぜ?

「これは!」

「車輪が椅子に乗っている。。、その心は?」

チャリンコの車輪を大の男が寄ってたかってじーっと眺めても分かるもんも分かるまい

作品眺めて、説明文読んで、分かって、作品また眺めて。。オチた!。。気分になるっていうの?そんな一休さんのとんちみたいな事やってるうちに感覚が研ぎ澄まされてくるのか、麻痺してくるのか。最後の方では何を見ても、それっぽく見えてくるじゃん?

綺麗に磨き上げられたただの廊下を見て、「これは!」って友達が言うんだよ?

「や。ただの綺麗な床だから。。」

「。。ですよね!面白い展示会でしたねぇ!」

友達とぞろぞろ、出口に向かう途中で、ででん!と出口あたりに、コインロッカー置いてあったんだ

「これは!」

「こんなところにコインロッカーが!」

綺麗に磨き上げられたシンプルでモダンなコインロッカーが、綺麗に磨き上げられた床の上に置いてあるんだ。ちょうど夕暮れ時の時間だ。夕日の太陽がコインロッカーを逆光気味に照らしており、神々しい雰囲気の空間が出現していた

「ふむ。これは、まさしく現代の消費社会を暗示した。。」

「深い暗示的な作品やな。説明文ないの?」

大の男が寄ってたかって、コインロッカー眺めとるんよ

そしたら、そばにいた美術館の守衛さんがやってきて言うんだ

「や。それ、ただのコインロッカーだから」

多分ね、守衛さん、他にも同じリアクションしているお客さんを何度も見たんだと思う

「又や。。」って気だるいオーラ出してたもん

僕にとっての現代アートって、どうしても、その気だるい守衛さんとコインロッカーが忘れられない。ただの便器に自分の名前をサインをしただけの作品にタイトルと説明文をつけたマルセル・デシャンの「泉」という作品が現代アートの始まりであると一般的に言われている

当たり前だが、便器そのものに価値があるのではない。便器に付随するコンセプトや企画性が価値を生み出す大事な要素なのだよ

作品の置き方とコンセプトの説明を上手くプレゼン出来れば、ただの便器がアートになってしまうのだ

。。。

なんの話だっけな。。あぁ!ベルリンの現代美術館「Hamburger Bahnhof」に行った話だったね

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「これは!」

「椅子が2つ並べられている、。その心は?」

modernart

xx

Kensuke Saito

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