チベット紀行 / vol.01 / 宗教と芸術の関係

今年の初めに、中国で一つの大きな出会いがありました

かいつまんで説明しよう

2018年12月12日より、年をまたいで2019年1月14日のおよそヶ月に渡って、僕はパートナーの森下アリスとの合同展示会の為に、中国は成都に滞在していました。そして、その期間中に二つの一般公開形式の展示会と一つの非公開形式のアートサロンを行ないました

2019年1月7日の一般公開形式の展示会に、チベット仏教の高位僧である加措活佛が来て、僕の絵を見て「これを描いた人は心に禅を持っている」と感じて、直接会って話したいと言ってくれました。僕はその時にギャラリーにいなかったので、その日は会えなかったのですが、後日、加措老も移動のフライトを控える忙しい中で、会う時間を作ってくれました

そして、翌日2019年1月8日

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加措活佛の関係者や今回の展示会の関係者を含めて、皆で会食をしました

チベット語、中国語、ドイツ語、英語、日本語を混じえて、芸術や人生の事など色々話した後、加措活佛が言う

「中国のチベット自治州コンガ山にある僕のお寺に滞在して、絵を描かないか?」

「?。。。どれくらい?」

「いたいだけ、いてもいいよ」

。。。あれだ。話が大きすぎて漠然としてて、気合い入れてぎゅっとまとめないと形にならないパターンだ

その日は、加措活佛も移動のフライトがあったので、また、考えをまとめて連絡を取り合いましょうという事になったのかな。僕も長期の中国滞在で疲れていて、頭がぼーっとしていたのもあるが、非現実的な感じだったな。というか、まだ良く分かってなかったね。この時点では、まだね

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2019年1月14日に中国での全ての日程を終えて、ベルリンの我が家に帰ってきてからも、中国のキュレーターを通して、今回の出会いを具体的な話にするために、加措活佛とは何度か連絡を取り、その中で僕も絵のことや人生のことについて深く考えるようになりました

「何故、絵を描くのか?」

「絵を通して何を描いていきたいのか?」

一つ、今回の出会いを通して、チベット仏教というものを僕なりに調べてみて、色々なことが見えてきた部分もあるわけだ。無宗教である自分は今まで、世界の様々な宗教に対して無関係というスタンスを取ってきたけれど、移民が多く住むヨーロッパで、様々な宗派の人たちと時間を過ごしていく中で、無関係というスタンスでは、通用しない部分が出てくるのではないかと。。

「食べるというシンプルな事一つとっても色々と違いがある。皆が理解し合わなければいけない場面も多々有る」

「これが思考やビジョンを伝える芸術ともなると、僕の芸術はそういうものとは全く関係ないというスタンスでは、自分の伝えたいものが伝わる範囲も恐ろしく狭くなるだろう」

2015年、パリからベルリンに引越しをする直前に、たまたま近くで遭遇したシャルリー・ヘブド襲撃事件。パリに住んでいる僕の妹は、僕よりももっと事件の現場近くにいたので建物から出れなくなった。その日は一日中、事件の映像が流れて、パリの街全体が哀しみで覆われた。それが2年間住んで最後に見たパリの風景だというのも悲しいが、なんとなくだけど、その事件が起きる前くらいから、パリという街に何か怒りのマグマのようなものが溜まっている空気感は感じていた

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その後にベルリンに引っ越した後も、シリアなどの中東地域での紛争により発生した多数の難民の受け入れ問題などで、ベルリンの僕の家の近所に大きい難民受け入れ施設が出来て、街の様子が変わっていく感じなど、揺れ動く時代の空気を感じる場面が増えた

ヨーロッパや中東の歴史、それに宗教が果たしてきた大きな役割を勉強していく中で、ふと、自分には今まで何の宗教の影響もなかったのかと考える

教会で結婚式を挙げ、クリスマスイブは盛大に祝って、年明けは神社に参拝して、死者を弔う際は経を読む。。ふむ。。何教だろうな。それは?ごちゃごちゃ混ざって、もはや大元が分からない状況になっているが、一つだけ、その日本のごちゃ混ぜ文化にも良い部分があるとするならば、基準が曖昧であるがゆえ、フラットな目線で様々な宗教を見れるというのはあるかもしれない。日本の文化として、良いと思ったものは外からでも積極的に取り入れて、今まであったものと器用に織り交ぜて、新たなものを創り上げるのが得意というのはある。それは利点としてある。だが、そろそろ、その大元をもう一度、勉強しなおす時期に来ているんじゃないかと思う

特定の宗教に入信するとか、しないとか。そういう単純な話ではなく、「勉強する」「知る」事がまず大事じゃない?「知った」上で、無宗教というのは、話として筋が通るし、個人の選択になるから分かるんだけど、ろくに「知らない」のに無宗教というのは、何も選択もしていないという事だろう?何も選択してない事にも気づいていないとしたら、それはそれで恐ろしくないか?

「仏壇に線香をあげたり」「神社にお参りする」という形だけ守って、ろくに仏教の勉強もしてこなかった自分は、あまりにも基本的な事を知らなすぎなのかもしれない。大部分の日本人がそうだと思うけど、「神道」とか「仏教」の考え方って、なんとなくは分かるんだよ。皮膚感覚で根付いているものも多いと思う。だけど、この、、なんとなくの部分をそのまま曖昧にしておくか、ちゃんと考えていくかって、これからの個々の人生において、大きいと個人的には思った。

特に、絵描きとして、不特定多数の人達に思考やビジョンを伝えていきたいのならば、なぜ?無宗教なのか?という部分をもっとシビアに考えていかなければいけないのかもしれない。でもさ、ネットで調べてみたらさ、平成26年の文化庁の調査で、日本の宗教人口は神道は49%、仏教は46%で、ほとんどの人がいずれかを信仰しているって出てるけど。。アメリカの別の調査によると、日本人の約6割が、無宗教なんだそうな。。多分、あれだな。「なんちゃって無宗教」が多いのかもな。それか、「なんちゃって仏教」か。。

まとめると上記のように日本の宗教人口は仏教と神道が多数を占めていると言われている

そして、仏教の起源であるインド仏教は、中国や日本へ広まっていく中で、それぞれの国に合わせて変容していった。その中でチベット仏教は、インド仏教の原典をそのままの形で受け継いでいると言われている

話は、ぱっと変えて、ぐっと進める

なぜに、チベット仏教の高位層である加措活佛が、僕の絵を良いと言ってくれたのか。。

ネットで、チベット仏教の歴史を調べていくとともに、チベット仏教の美術も調べていく

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チベット仏教の美術、仏画の総称をタンカという。そして、タンカは目的に応じて、曼荼羅やツォクシンなど、様々な形に分類されて描かれる。そして、高度に洗練された幾何学的な配置と構成によって仏教理論を表現していく。この幾何学的な配置のルールにも様々な種類があって、円をいくつ並べると美しいとか色々な方程式がある。そういう様々な数学的思考を元に洗練されたタンカを創っていく

僕も学生の時にグラフィックデザインの幾何学構成理論を学んだ経緯もあり、今でも絵を描く時に数学的な幾何学構成テクニックを用いて調和の取れた絵を描く。だから、そのタンカの幾何学構成的な理論は、馴染みやすい考えだった

そういえば、加措活佛に会った時にタンカの実物を見せてもらったけど。すっごい緻密な絵で、構成力とか凄いの。一枚描くのに何ヶ月もかかるって言ってたな

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2019年の2月からはしばらく落ち着いた環境で、タンカの理論を自己流に解釈して研究してみたり、チベット仏教を通して見えてくる日本人の宗教観や死生観、歴史のことを考えながら一枚の絵の制作に取り掛かった

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それから2ヶ月が経ち、4月に入る頃に絵は完成し、チベットのプロジェクトも具体的な形として動き出す

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2019年5月15日から23日間に渡って、中華人民共和国四川省カンゼ・チベット族自治州に位置する大雪山脈の最高峰であるコンガ山にある加措活佛のお寺に滞在し、タンカを描くチベット人の芸術家と共にアートを制作し、「チベット仏教のタンカアートと現代の美術のコラボレーション」というコンセプトで絵画を制作してきます

森下アリスも同行し、アリスは彼女自身の視点を持って、タンカを学び、チベットの風習を絵として記録していきます

アリスとは日頃から良く話す

「芸術とは何か?」

「本当に自分が目指しているものは何か?」

そんな事を照らいもなく真正面から話せるアリスは、パートナーでもあると同時に一人の尊敬できる芸術家でもある

この旅を通して何を学べるか

 

後4時間後にフライトである

 

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xx Kensuke Saito

from Berlin Germany

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