チベット紀行 / vol.02 / 死に対する意識の違い

3500メートル。。

2019年5月15日から6月4日の21日間にかけて、僕とアリスが滞在していた中国四川省にあるチベット族自治州カンゼという場所の標高である

はて、自分の今までの人生の中で、そんな高い場所に登ったことがあったかなと想像してみるじゃないですか。それで思い返せば、富士山に登ったことがあったね。小学生の頃という大昔の話ですが、改めてググってみたら3776メートルとあるじゃないですか。カンゼとそんな変わらないね

ふむ。。そうか。。そんな高い場所にあるのか

厳密にいうと、今回のアートプロジェクトのコラボ相手であるチベット人タンカアーティストのPemaさんが所有しているホテルがそこにあって、その二階にある一室を借りて、そこで寝泊まりし、一階にある大きい空間をアトリエにしてそこで毎日絵を描く事になったわけだ。

まぁ、諸事情があって、そのホテルは二年前に閉鎖されているらしいんですが。。

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ちゃんとしたレストランとかレセプションがある五階建ての結構大きいホテル。。

しかも、山の上の方にあり冬にもなると一面雪に覆われてしまう無人のホテル。。

しかも、その結構ながらんとした空間にアリスと僕、中国人のキュレーター、今回のプロジェクトの為にチベット側から派遣された英語が話せるチベット僧侶であるShambaさんの四人しかいないという。。

そして、誰もいない廊下がやたら長く感じられる

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はて、この状況設定はどこかで聞いたことがあるなって思ったら、キューブリックの「シャイニング」じゃないですか

そんな、リアル「シャイニング」な状況で、今回のプロジェクトは始まったのである

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話を少し巻き戻す

3500メートルのそのホテルがある場所に辿り着くのに、中国の成都から車で行くんだがね。ざっくり言うと14時間かかるんだ。それも、4000メートル級の山を何回か超えていく。地上から4000メートルの高さに向かって、車が凄い勢いで駆け上っていく。途中の休憩場所の時点で、これは凄い場所に来てるんじゃないかと思ったもの。中国人キュレーターのFengranも僕もすでにグロッキーである。キラキラと景色が眩しく見えたもの

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頂上を超えて降りて、又、次の山に上がる。。下の写真とか見ると、なんだ。小さい山がいくつもあるだけじゃんと思うじゃない?違うんだ。そうじゃなくて、標高が高いところに更に山がそびえ立ってるの。しかも、この写真撮った時に、凄い広角モードで撮ってるから、遠近感が狂ってて、山が小さく近く見えるんだけど。実際は凄いデカくて遠いんだ。まぁ、最近のカメラなんてそんなもんですよね。雄大な景色とかも簡単に綺麗に撮れるようになった反面、何か、遠近感が狂ってるように感じるんだ。。っていうか、カメラの話する場所ではないね、飛ばそう

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それに加えて、一車線しかない細い道路である。対向車線から来る車を避けながら、時には道路を歩いている牛を避けながら、猛烈な勢いで、目の前の車を次から次に追い越しながら、目的地まで飛ばしていく。天国への道だと言われても違和感のない日常生活ではなかなか見れない非現実的な風景をずっと眺めている上に、高い標高で酸素も薄くなっているのも相まって頭もボーっとしてくる

「あ。。」

気が付いたら頭がぐらぐらして、歩くのさえキツイ感じになっている

「、、これは、もしかして、、」

今回、みんなが危惧していたのが、高山病である。高山病にかかったら下山しなければいけないと言われていた。アリスも心配していた。僕は大丈夫だと高をくくっていた。。

「やべぇ。大丈夫かな。。」

ホテルに辿り着いて、三日間、僕は体調不良でふらふらくらくらしていた。朝は元気なんだけど、少し時間が経つと目眩がして立ってられなくなる

アリスは何故か元気だ。きっとあれだ。普段からヨガやったりプール行ったりしてるから元気なんだ。自分はといえばここ最近、そういうの全般的にサボっていたからな。。

「下山しますか?」

みんなが、ベットで横になっている僕を心配そうに見ている

「いや、少し様子を見てみよう」

お湯を沢山飲んで、野菜を沢山食べて、今更、ヨガを再開してみたり

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そんなこんなで体調を取り戻していった。っていうか、ここまで来て何もしないで降りれるかっていう気持ちが大きかったね。今回のプロジェクトに僕自身、気持ちを入れ込んでいる部分があった

そして、Pemaさんと、「輪廻転生」をテーマに一つの作品を作るという作業を始めていく

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死んでは生きてを繰り返し、次の世代へと膨大な遺伝子情報を受け継いでいく人類の姿を絵のテーマにする事が多い僕にとって、肉体は滅んでも魂は何度もこの世に生まれ変わってくるという「輪廻転生」という考えに親近感を感じていた

チベット人のPemaさんは、この「輪廻転生」という言葉にどういう考えを見せてくれるのか?

チベット語を母国語にするPemaさんと、日本語を母国語にする僕の間には共有するコミュニケーション言語がない為、作業初日に周囲の人たちの力を借りて、お互いの考えを話していく。チベット語、中国語、英語、ドイツ語、日本語を通して、じっくりとお互いの考えてる事を共有した後は、絵でコミュニケーションを取りながらどんどん描いていく

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朝早く起きて、絵を描いて、時間があれば、チベットのお寺や街並みを探索し、夜になれば、Pemaさんの家で、Pemaさんの奥さんが料理してくれたご飯を食べ、夜も10時くらいには寝るというシンプルな生活が始まる。そのシンプルな時間の流れの中で、「生命」「宇宙」「生きる、死ぬ」「あの世、この世」は何かという事に思いを巡らせていく

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特に面白かったのが、Pemaさんの考える「死」と僕の考える「死」の違い

Pemaさんは、「死」というものを描くときに、可愛らしい感じに描いていくことが多い。例えば、可愛らしい骸骨が踊っていたり、死神がどこかユーモラスに描かれていたり。翻って、日本人の僕の考える「死」は、暗く、不吉なもので、恐れの対象であり、Pemaさんの描くそれとは対象的だ。あくまで僕が見て感じたことだけれど

日本に住んでいると、「死」というものは、日常生活から徹底的に隠される。距離が果てしなく遠い向こう側の世界であり、「生」からは断絶されたものなのである。「死」というものを本来は地続きである「生」と切り離して考えるから、逆説的に「生」というものがリアルに感じられなくなる時がある

今回、見る事が叶わなかったが、チベットには「鳥葬」という葬儀方法がある。「天葬」という言い方もある

死んで、魂が解放された後の肉体を、ハゲワシに食べさせる葬儀方法である。そして、肉体から開放された魂は、別の肉体に宿っていく。肉体はただの容れ物に過ぎないという考えがあるからこそ、「死」というものは、肉体が滅びる現象に過ぎない。だから、「死」は恐れるものではなく、「生」と表裏一体なのである

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日々、Pemaさんと携帯の翻訳機能を使って話したり、良いと思った絵を見せ合いながら、一つの絵に「生きる、死ぬ」についての考えを描いていく。周囲は、見渡す限り高い山に囲まれている

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いつだったか、どこかに「絵が僕を色々な場所に連れて行ってくれる」と呟いた

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絵は、国を超えて、それぞれの立場も超えて、価値観の違いをも超える可能性を秘めている。そして、超えた先で人々に共有させるような人間の持つ根源的、普遍的な何かを人に感じさせ、考えさせる力を持つ可能性を秘めている。ただ、自分の絵にそこまでの力を持たらせる為には、「外」に出て行かないといけない

「外」とは、様々ある

ある人にとっては、「国」だったり、「自分のいる場所」「会社」「地元」「日常」とか、様々だ

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そうして、自分を「外」に晒し、交わる。それを「内」に持ち帰る。その繰り返しの中で、考えを研ぎ澄ませていく

価値観も違い、言葉も違う人たちにも、何かを感じてもらいたいと思ったら、様々な時間を共に過ごし、相手のことを理解することが大事なのだ。絵を描く以外の時間も、Pemaさんの子供と過ごしたり、湖に遊びに行ったり、近くの公園に遊びに行ったり、ご飯を共に食べたり。今回は、意識的にそういう時間も多く過ごすようにしてみた

 

良い絵を描く!とか気張って、一人で篭って、絵に向かうのではなく。相手の文化や生活の中に入って、そこから共に何かを産み出していく

急ぐんだけど、急がない

力入れるんだけど、力を抜く

 

色々な人が絡んでくるようになったこのプロジェクトでは、自分のやりたいように思いのままに絵を描くとかそういう個人ベースな考え方ではなく、自分がいかにバランスよく立ち向かえるか。絵を描くって、究極の個人的な作業だと思っていたけど、案外それだけじゃない部分もあるのね

絵を描く事を通して、一人で奥深く奥深く孤独の世界に潜っていったと思ったら、その先に、素敵な出会いがたくさん待っていた

 

絵が僕を色々な場所に連れて行ってくれる

 

時には、深い孤独の世界に

時には、様々な出会いのある広がりのある世界に

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カンゼでの21日間

 

絵を通して、生命を考えるゆっくりとした濃い時間があった

 

to be continued…

Kensuke Saito

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