穴の大きさの話

ドイツはベルリン

夜中0時も過ぎた人気のないトラム。僕以外に乗客は数えるほどしかいない。どこか非現実な感じもする空間でぼーっと色々と思い出したり考えたりする

多感な中学生の時に読んだ本の一節で、ずっと忘れられない言葉がある

「人は自分の中にあるぽっかりと空いた巨大な穴を埋める為に、何か別のもので埋めるのだ。それを才能という」

多分、、これ書いたの、村上龍だったか、春樹の方だったか。。当時はこの二人の本ばかり読んでたから、どっちかだ

人生のうちで何回、忘れられない言葉に出会えるか。その為には、たくさんの時間を費やして、多くの人と会い、多くの本を読まなければならない。そうして出会えた言葉は、その後の人生で壁に当たったりした時に心の支えになることが多い。。

 

さて、なんの話だったかな

 

2019年6月10日に21日間に渡るチベット滞在を経て中国から帰ってきて、ドイツはベルリンでの日常に戻り、チベットで撮影した映像を編集してドキュメンタリーを作ったり、絵を描いたりする日々が続いている

ベルリンにいるとチベットでは途絶えていた様々な音や景色がまた僕の耳や目に飛び込んでくるようになる

雑多な人々が行き交うガヤガヤした通り

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酔っ払いが徘徊する深夜の不穏な空気

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人気のない広大な自然がある公園

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爆音でかき鳴らされる音楽のビート

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チベットでの日々から日にちが経つにつれ、徐々にあの3500メートルの標高での非現実的な日々の出来事を客観的に見つめる事ができるようになる

今は向こうに行って吸収した事を咀嚼して作品に落とし込んでいる段階だ。その日々の過程でアリスと色々な事を話し合う

「何の為に絵を描くのだろう?」

こないだアリスと明け方まで話した内容が「なんで?」という根源的なことだった。物事は何でもそうだが、長いこと続けていくうちに当初の始めたきっかけや大事な部分が変質していく。もちろん、好きだからやっているというのが第一だ。好きだからやるのは何かをやる時の基本であるだろうし、好きすぎて嫌になるという上級レベルのめんどくさいアレやコレはここでは省く

そうね。自分が絵を始めるきっかけとして、生まれつき重度の難聴を持っている事実が大きかったのは以前のブログでも書いた↓↓↓

難聴 佐村河内と常盤貴子。。そして自分。

難聴なんだけど通常学級に通って、健常者と交わりながら学校生活を送っていくと嫌でも意識するのが、自分はどういう風に社会と関わっていけるのかなという切実な不安だった。もっと分かりやすく言うと、中学生あたりにもなると、色々な面で周りとどんどん差がついて来るんだ。ぎゃぁぎゃぁ騒いでいただけだった小学生時代とは違って、中学生ともなるとクラスの中にも様々な人間関係ができて、クラスの中にも政治的な面が発生し始める

あ。。

そこで気付くんだ。自分が周りに全然ついていけてない事に気付くんだ

もちろん、中学生時代にも大事な友人は沢山いたしそういう面での孤独はなかった。でもそれとは違う意味での人生に対する危機感が発生した。このまま大人になったらやばいかもしれない。健常者に対して明確に劣る特徴を持っている自分は何か彼らとは違う武器を持たないとこれからの人生をサバイブできないかもしれない

多感な中学生ともなるとほとんどの人が他社との違いや社会に対しての漠然とした不安を感じるのだろう。百人いたら百通りの不安があるのだろう。自分の強みや弱みにどんどん気づいていく年頃でもある。その上で自分は何を感じていたかというと、やはり難聴という分かりやすく克服し難い身体的なハンディキャップをどう補うかという難しい問題だった

ましてや恋したい盛りの中学生だぜ?

一番の心配が、自分に彼女なんて出来るのか?っていうね

小学生時代中学生時代って、どういうやつがモテてたかって思い出してみると、足が速かったりスポーツができたり。そういう身体的な面がモノを言う弱肉強食な面がある。基本、スポーツ出来ないやつが異性にモテる他の手段としてバンド始めたりする。スポーツも万能でバンドもやる例外もあるし、モテたいとか関係なく物事を進められる立派な方もおられるだろうが、そこまで語ると面倒なので省いちゃおう

でさ、俺。バンドも出来ないやん。だって、耳悪いんだぜ?あのねぇ、実際やってみたけど、無理だったね。合わせられない

結構、身体的なハンディキャップがあると色んなことに早い段階から諦めがつくというのか

アレも出来ないコレも出来ない

そんな時に難聴の画家がモテまくりのテレビドラマ「愛してると言ってくれ」で、豊川悦司が僕のロールモデルとなったわけだ。難聴というハンディキャップがあるのにモテるんだぜ?こんな素敵な手はないじゃないか?っていうか、こんな文章書けるのも、、俺が難聴だからだな。。健常者には書けること書けないこと。難聴の僕には書けること書けないことがあるのだよ。当事者のみ書いていいことと悪いことがある

学生の時、紹介で聾学校に遊びに行った事がある。僕も聾学校に通うはずだったという思いは当時からあった。オカンが周囲の反対を押し切って普通学校に僕を入れたんだけど、聾学校に入るという選択技もあったんだ。それならそれでどんな人生があったんだろう?それはおそらく違う人生だっただろうし、良い悪いと比較できるものでもないだろうが、僕なりにどうなっていたんだろう?という思いはある。それで、その聾学校に通っている同い歳の人たちと遊んだりした。当たり前だが、他の学校の人たちと違うわけでもなく、普通のそこらへんにいる高校生だ。ただ一つだけ違いがあるならば、やはり、皆、耳が悪いのを気にしているし、自分に彼女が出来るのかなと不安に感じている。ちょっとその危機感が、当時、僕が行っていた普通学校の人たちとは違った深さがあった。

少し話が脱線したね。この事を語りだすと長くなるし、今回のブログのメインテーマではないのでまたの機会に。。そうねぇ、まとめちゃうと、多くの中学生にとっては、「自分がどう社会に関わっていくか?」という不安は『自分は女をゲット出来るか?」という不安と同義語でもある

言い換えるとコンプレックスとも言えるな。今、この歳になって振り返って思うのは、コンプレックスって向き合い方によっては武器になるという事だ。事実、そのコンプレックスを克服する為に人以上の力を費やすんだもん。結果的に何かしら身につくものがあるわけでしょう。もちろん向き合い方を一歩間違えると恐ろしいことになったりもしますが

さささ、先に戻ると

「何の為に絵を描くのだろう?」というアリスとの会話だったね。そうねぇ。なんでだろうね。ちょっと化学方程式を書くみたいに紙に書いてみる

自分なりに色々考えてみた結果、

「トヨエツになってみたい」=「女にモテる為」=「社会と関わる為の自分なりの武器」という仮説が成り立つわけです

やはり、男としては女にモテたいというのは本能レベル的に大事なことなわけです

そして、その仮説を今の僕に置き換えて展開していきますと、まず。「今、女にモテてどうするんだ?」という話になる。アリス相手にこんな雲行き怪しくなる話もないじゃないですか

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彼女や奥さんに対して、女にモテたくてやってるんだ!って言えます?もちろんもちろん、話の文脈的にはね、そう言っても許される話の持って生き方や展開もあるかもしれない。でも、例外的なもんじゃないか。そんなもん

「いえ。モテたくて、絵をやってるワケではないです。。」

「じゃぁ、なんで絵をやるの?お金?」

「ホワッツ?」

「マネー?マネー?」

という身も蓋もない話になっていく

振り返ると五年前にヨーロッパはベルリンに来てから本気で絵を描いていこうと思った。それまでも絵を描いていたけど、それは仕事の合間だったり、休日のちょっとした時間に描くという感じだった。当時から僕にとって、絵は大事なものではあるけれど売るという風には考えていなかった。売ることを前提に考えていないから描く紙も適当だし、画材もそこらへんにあるボールペンだったりする。でも、なんでそんな風になったんだろうな。。

ちょっと僕の学生時代から社会人時代になる過程を思い返してみる

高校に行きながら、デッサンを勉強する予備校に通って、グラフィックデザインを学ぶ学校に行き、卒業して、自主映画を創ってから、アパレル会社の販売促進部に就職して、様々なブランドの写真を撮るようになり、映像を作るようになる。そうやって、僕なりに社会でサバイブするスキルを身につけていく

社会人時代の週一回休めればラッキーなくらい忙しい日々の中でも、絵は自分にとって基礎であり、大事なものだから合間合間の時間を見つけては描いていた。描かないと落ち着かなかったとも言えるし、一種のストレス解消だった

このようにして身につけた写真や映像を作れるスキルも、諸々事情があってヨーロッパに移住した時に全くもって通用しなくなる

なぜかって?

今度は「耳が聞こえない」んじゃなくて「言葉が分からない」という問題が出てきたんだ

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写真とか映像の仕事をする時って、クライアントとイメージを伝え合う微妙なニュアンスの言語力とか金額の交渉や日程の調整などの実務的な言語力が必要になってくる。先ほども述べたが、諸々事情があって、準備期間も短いままヨーロッパに移住したので、そこらへんをクリアにしないまま、とりあえず暮らし始めるという感じだった

来てみて、、実際に暮らしてみて、、深いレベルで気がつくんだ

あ。。俺、こっちでは外国人や。。

あ。やばい。。

こっちで写真の仕事は難しい

こっちで映像の仕事は難しい

僕がやっていたファッション関係のカメラマンの仕事って日本でも探すのが難しかったりする。そもそもがコネもツテもなく、どうやったらさ、そんな仕事見つけられるのよ?初めての海外暮らしで、神経質になり、自信を失ったというのもあるだろう。仕事を探す前から諦めちゃったりするほどの精神状態に追い込まれるんだ

自分が今まで社会で通用すると思っていたスキルなんて場所が変われば通じないことが分かってくる。僕がそれまでスキルと思っていたスキルなんて、自分がその時にいた場所でしか通用しない狭い範囲のスキルだった事に気がつく

その事実を認めるのは凄いきつかった

よくサラリーマンお父さんが会社を定年退職した後に自分に出来る事が見つからなくてびっくりしたというのがあるじゃない。多分それと同じだ

僕の場合も同じだった。。気がついたら自分の通用する武器がないではないか。ずっとすることないまま、自分は何が出来るんだと考え込んでいた。真昼間から公園をあてどもなく歩いたりした。ベンチに座って鳩に餌をあげたりしてて気がつく。する事がない人間は公園のベンチで鳩に餌をやるんだと、、っていうかまだ定年でもないわ

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ベルリンで暮らし始めて新しい街並みを見れて楽しいのなんて最初の何ヶ月かで終わりだ。まず、根元にある「自分は何ができるか?」をクリアにしないと気持ちは落ちていく。アリスはそんな僕にでも愛情を持ってくれるけど、だからこそ何もなく公園のベンチで鳩に餌をやってる自分はなんなんだと。。

コノママデハ、、ヤヴァイノデハナイカ!

自分を奮い立たせて、まず鳩に餌をあげるのをやめてみた。ベンチにも行かない

そんな経験があるからこそ公園のベンチで鳩に餌をあげてる人間がいたら、僕は暖かい眼差しを注げたい。。でもさ、気がついたんだけど、公園のベンチで鳩に餌をあげてるのって圧倒的におじさんが多いわね。。鳩に餌をあげてるおばさんって、、いる?誰かと談笑しながら餌撒いてるパターンはあるけど、一人ぼっちでって、、なかなかいないよな?

まぁいい。鳩の話でもないんだ今回は。それ位、あてどもなく彷徨っていた日々がある事を言いたいだけなんだ

そんなある日、家に帰って昔に自分が描いた絵をぼーっと見ていたんだ。我ながらカッコいい絵だなぁって思ってたんだ

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しばらく見てて。。

あ。。

ふと、、気がついた

「これ、、売れる?」

一旦、その考えが頭に浮かぶと、徐々にその思いが強くなる。灯台下暗しとはこのことだ。自分が探していたものは最初から持っていたんだ。自分が分からなくなったら原点を振り返ってみればいい。自分が何をしてきたのかを思い返してみるといい

早速、アリスに話す

「絵で勝負したい!」

僕は絵の世界も知らないし、ギャラリーがどうのこうのとかそういうアートビジネスの世界もさっぱり分からない。自分の個展すらやったことがない。それでも、何か凄い僕の絵はいけるはずって根拠のない自信があったんだ。僕も引かなかったな。色々と真剣に話し合って、僕もアリスも絵を描くという今の活動を始めることになる

まぁ、普通。夫婦で共に絵描きっていうのはちょっと珍しい。まぁ、いるけどそんなに多くはない。どっちかが社員だったりして経済的には安定感保ったりするもんだけど、夫婦ともに絵描きっていうのはねぇ。。人並み以上の行動力が必要だ。好きで絵を描いていますというスタンスだとなかなか難しい。本気でどうにかこうにかしようという危機感で行動してきた。下手したら、絵を描くという時間は全体の作業の中の三割もないかなというくらいだ。絵をプレゼンするためのアレやコレを考えたり、戦略を練ったり、。

結構、それをしないで絵を描くことに没頭しちゃう絵描きも多い。とりあえず絵を描いていたら何かをしている気になれるから。それで、アトリエに絵だけが溜まっていく

でも大事なのはそこではない。皮肉なことに絵を描いていくと決めてから、絵を描ける時間は減った。絵の価値を高めるための作業が様々にあり、それをやることが大事になってくる

それから色々な場所で展示をし、様々な出来事があり、様々な人々との出会いがあった

お金は大事だ。でも、お金を先に考えるほど大事なものであるならば、なんでそもそもがヨーロッパで、しかも絵を描いているんだという話になる

自分なりの自分にしかできないと思える武器を持って社会と関わりたいのだ。お金はその結果だと思える覚悟がないと絵を描いていくのは難しい

物心ついた時から自分は人より劣っていると思っていて、でも、それでも自分が幸せだと感じれるのは、絵や表現という自分にしかないと思える武器を持っているからだろう

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コンプレックスという穴の深さや大きさが作品を創る際の原動力になっているのだ

穴は深ければ深いほど、いい

大きければ大きいほど、いい

 

あ。龍だった

 

 

xx Kensuke Saito

p.s. アート活動や日々のアレやコレをInstagramにアップしています。未見の方は見てみてください。下に僕とアリスのinstagramリンクを貼っておきます。ではまた!

斎藤研佑のインスタグラム (Instagram)

森下アリスのインスタグラム (Instagram)

 

 

 

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